ドルチ

郷愁は本能、湯治は万能。

いつも私の書き込みを読んでくれる人は、面白い話(特に笑える方向のやつ)を求めているに違いない。
そこのところは重々承知しているが、私はプロの芸人でもなければ文筆家でもなく、実生活の一部分を書き出しては誰かの関心を集め、勝手に喜ぶ平々凡々な働く主婦の一人にすぎない。
もちろん、普通に暮らしている以上、面白くない事だって山とある。
きっと他の皆とだって大差ない筈だ。

ただ、この数日は術後の腹痛が色々と余計な事を思い出させに訪れる。悪い夢も見る。これが笑いの提供に支障がならないかな、という心配がひとつあるかも知れない。

私は腹痛をこらえるたび、哀れな女にならなければならないのだろうか。
そいつは厭だなあ。

それなら笑いを提供し続けるのか。
いやいや、そいつは勘弁だ。
幸い書くネタにだけは事欠かない。
この暮らし方も、この感性も、私だけのもの。やったぜ。

けれども何だろう、私の「悪ノリできる能力」というか…心の何処かが消耗する感じがするのだ。この数日は特に。

エンタメ提供も楽じゃない、といったところだろうか…

ほんで、せやなあ、ちょっと今日は「笑える話」はお休み。
箸休め感覚で、ちょっとした昔話を書かせて頂きたい。

ただ、ひとつ注意点がある。
まろやかな表現で書いていく事には努めよう。
それでも「家族関係にトラウマを持つ人」には多少酷になる内容かも知れない。
この点にご注意願いたい。

大丈夫そうな諸兄諸姉には、洗いざらい明かすとしよう。




















10代の頃に母が家出して、その半年後に父のガールフレンドが転がり込んできた。
兄と私は、努めて彼女を好きになろうとしけれど、なかなか波長が合わなかった。
私達兄妹は、バイトをして資金を作り、父の許しを得て家を出た。

初年こそ一緒のアパートで暮らしたけれど、いつまでも世話になり続ける訳にはいかなかった。
兄は就職、昇進、婚約…と順調に「立派な大人」になっていった。
兄夫婦の結婚が決まり、良い機会だと思った私は、父と兄の許しを得て一人暮らしを始めた。しばらくして父も再婚し、腹違いのきょうだいができた。

それからというもの、実家は実家のようでそうじゃない、帰れる家とは思えなくなっていった。

…とはいうものの、当時私は高校2年生。頼るべきところは頼らなければならない、中途半端な年頃の自分が恥ずかしかった。

父と兄夫婦から学費や生活費としての仕送りを受け、義姉からは手料理の差し入れを貰ったりもしいの、小遣い欲しさにバイトを続け、たまには学校をサボり、3年生の頃に出席日数不足を起こしたりして留年までした。

そりゃあ姿こそ地味だが、不良と呼ばれてもおかしくはなかった。
恥をしのんで卒業まで粘った。誰もその事を笑わないでいてくれた。
私自身はというと、今でも恥ずかしい。

高卒で就職した口の私だが、仕送りを返す為には稼ぎたかった。
もっとイイトコ挑んでやるぜと転職した先は転勤の多い会社で、ここで一旦調子を崩し、OLの道から外れるハメになる。

それから現在まで、外注の仕事とパートで食い繋ぎ、ある日掴んだ仕事の依頼主として「のちに夫となるアイツ」に出会ったんだ。

私達夫婦は、結婚式を挙げなかった。
兄夫婦ほど立派な式は挙げられないし、互いに「なんとしても招待したい人」というのがほとんど居なかったのもある。
挙式もせず、結婚写真も撮らずにいると、新婚旅行を計画する機会もなかった。
まとまった休みを取る事情がなかったので、何となく…ずーっと、働きっぱなしになっていった。

母の家出の事情については、何故か大人になった現在も教えてもらえずにいる。
きっと、已むに已まれぬ何かがあったんだと思う。
今更尋ねるにも時間が経ちすぎた。兄も両親も「そっとしておいてほしい」のかも知れない。
だったら無理に詮索する事もないのかも知れない。

10年とまでは言わないが、郷里を離れたらそれきり、しばらく帰っていなかった。
こんな調子で家族ともすっかり疎遠だが、仕送りを返す連絡を口実に、定期的に電話できるくらいの関係で繋がりを保っている。家族の在り方はそれぞれで良いんじゃないかな。
特に争う程の不仲ではないのだから。

静養旅行の行き先は山形県に決めた。
土地勘があって、何となく安心できる街だ。
実家の隣町の温泉地近辺に宿を取る。
夫も同行を申し出てくれている。
大いに遅刻した新婚旅行と洒落込むのも悪くないかも知れない。

さあて、旅のしおりでも作ってチケットも押さえるかな。
トラベル関係おなじみの「早得」が最大活用される見込み。

2018-02-17 12:14:17